アメリカズカップとは

「ひょうたんからこま」だったマルチハル・アメリカズカッパー

2010年2月にスペインのバレンシアで開催された第33回アメリカズカップは、共に水線長90ftのカタマラン(防衛艇・アリンギ5)対トライマラン(挑戦艇・USA)の、史上初のマルチハル対決になった。 そもそも、オラクルレーシングを擁するゴールデンゲイト・ヨットクラブが、アメリカズカップの憲法とも言える贈与証書に則って、 「水線長90フィート、幅90フィートという、有り得ないような艇で第33回アメリカズカップに挑戦する」、 という挑戦状をスイスのヨットクラブとアリンギに突きつけたのは、初防衛を果たして独裁者のように振舞い始めた防衛者アリンギを話し合いのテーブルに着かせるためだった。 そうして贈与証書が認めている防衛者と挑戦者代表との合議によって、もっと現実的な、モノハル艇での公平な第33回アメリカズカップ開催への道筋を付けようとしたのだ。そしてその時点では、オラクルレーシングも、「アメリカズカップはモノハルであるべきだ」と考えていた。 ところが防衛側のアリンギは、贈与証書の規定によってゴールデンゲイト・ヨットクラブを挑戦者代表として迎え入れなければならない現実を悟ると、「水線長90フィート、幅90フィートのヨットでの挑戦を受けて立つ」という答えを出した。 そこで挑戦者は、構造的に非常に困難の伴う「有り得ないような」艇を造らざるを得なくなり、さらに、微風での不利を克服する必要に迫られて大型ハード・ウイングの開発にも挑戦しなければならなくなった。 アメリカの技術の粋を集めて必死にそれらの開発に取り組んだ結果、本人たちですら予想できなかった未知のセーリング性能を持つレース艇ができてしまった。その艇は6ノット以下の風でも風上側の艇体を空中に浮かせて、風速の3倍以上のスピードで走り、27ノットを超える強風でも壊れずにセーリングできて、マッチレースで必要なマニューバーもできる、水線長90ftのマルチハル艇として完成した。 いわば第33回アメリカズカップ挑戦艇マルチハル〈USA〉は、それを造った本人たちにとってさえ、ひょうたんからコマ、のような艇だった。

AC72クラスの登場

そのマルチハル挑戦艇によって、アメリカズカップをスイスから奪い取ったゴールデンゲイト・ヨットクラブが、次回アメリカズカップの挑戦者代表だったローマヨットクラブ(後に資金不足によって撤退)との話し合いの末、次回第34回アメリカズカップ制式艇を、船体長72フィート、全長85フィートのカタマラン「AC72」にすることを決定する。 最初から挑戦者対防衛者の一騎打ちという、最近のアメリカズカップとしては特異なマッチになった第33回大会とは異なり、第34回アメリカズカップは複数の挑戦者を迎え入れる大会になる。そのアメリカズカップの制式艇は、それらの挑戦者たちが前向きに挑戦を検討するだけの、魅力ある艇でなければならないし、また、テレビなどを通してレースを観戦する一般スポーツファンの心をつかむスピード性能を持つ艇でなければならない。 制式艇とするクラスをこれまでのアメリカズカップの伝統と常識どおりのモノハルにするか、あるいは圧倒的なスピードと高性能を持つマルチハルにするかについて、防衛者と挑戦者代表は討議を重ね、議論を煮詰めた。 制式艇選考の過程で、防衛者側は、挑戦の可能性を表明しているヨットクラブを集めて彼らの意見を聞いている。また、それらのヨットクラブの挑戦艇を設計することになる複数のデザイナーたちを招いて意見交換の場も設けた。 さらに、モノハルとカタマランのマッチレースはどちらが見応えがあるかを実際に、かつ客観的に検証するために、大規模な模擬レースとテレビ中継のテストも行なった。 高性能モノハル艇の代表として2隻のラッセル・クーツ44を、高性能マルチハル艇の例として2隻のエクストリーム40を、それぞれ用意した。 そしてそれらの艇にチャンピオンクラスのマッチレース・スキッパーとクルーを乗せて、実際に激しいマッチレースを行なったのだ。それぞれの艇に複数のテレビカメラマンを乗せ、外からもテレビカメラボートでレースの様子を撮影した。 そのマッチレースの映像を一般セーラーたちや、セーリングを知らない一般のスポーツファンたちに観てもらって、彼らの意見を集計したのだ。 これらの検証に掛けた費用だけでも、大変な額に上ったが、未来のアメリカズカップの方向性を決める制式艇の決定は、慎重の上にも慎重を期さなければならないため、防衛者側は必死になって正しい答えを導き出そうと努力した。 こうして、あらゆる識者の意見を集め、実際に海上での模擬レースで検証し、テストした結果、未来のアメリカズカップにはマルチハルがふさわしいという結論が導き出された。そうして第34回アメリカズカップ制式艇は、メインセールの代わりにウイングセール(大・小2種類)を装備するカタマラン、「AC72」クラスに決定された。

AC72のコンセプト

1、 スピード感のある、エキサイティングなレースを保証する艇。
2、 セーラーとデザイナーにとってチャレンジャブルな艇。
3、 スポーツファンの心をつかむ艇
4、 ほとんどのコンディションでのレースが可能で、レース日程の延期を最小限にする艇
5、 微風から強風まで、接戦のレースを展開することができる艇
6、 トータルの費用を抑えることに貢献する艇
7、 組み立て・解体が48時間以内でできる艇
だとされている。
AC72の主要目
船体長  22.00m (72 feet)
全長   26.20m (85 feet)
幅    14.00m (46 feet)
重量   5900kg
クルー  11人
最大喫水 4.40m (14 feet)
ウイングセール高さ 40.00m (131 feet)
大ウイングセール面積 260.00m2
小ウイングセール面積 230.00m2
予想トップスピード 32 knots
オンボードTVカメラマン 2人
TVカメラマンポジション 3 箇所
遠隔操作TVカメラ 7台
オンボードマイク 18台(クルー用11個含む)

第34回アメリカズカップのレースフォーマット

防衛チームを含む各兆戦チームは、AC72クラスを最大2隻まで建造することができる。 2011年からアメリカズカップ・ワールドシリーズという、世界各地を転戦する予備予選レース・サーキットが始まるが、このAC72クラスは2012年のシーズンから投入される。 2011年のアメリカズカップ・ワールドシリーズは、AC45クラスという船体長45フィートのワンデザイン・カタマラン(ウイングセール付き)によって行なう。 AC45で世界各地を転戦し、ウイングセールとマルチハルでのマッチレースに習熟する期間としても利用する。 このAC45は、2012年には、次世代のアメリカズカップセーラーのためのユース・アメリカズカップに使われる。このユース・アメリカズカップには第34回アメリカズカップに挑戦していないチームも参加することができる。

開催地 米国カリフォルニア州サンフランシスコ湾内

第34回アメリカズカップ開催地は、防衛ヨットクラブのゴールデンゲート・ヨットクラブが自ら定めた期限(2010年12月31日)ギリギリになって、サンフランシスコに決定した。 サンフランシスコのアメリカズカップビレッジとして再開発されるのは、サンフランシスコ市街部の、ベイブリッジを挟む広大なウォーターフロント・エリア。レースのスタート/フィニッシュラインは観光地としても知られるフィッシャーマンズワーフのすぐ東側。目の前にはサンフランシスコ湾のシンボル的存在の元・監獄島、現在は観光島になっているアルカトラズ島が浮かぶ。アルカトラズ島と、フィッシャーマンズワーフの間の海面もレースエリアになる。両サイドをサンフランシスコ市街とアルカトラズ島に挟まれたショートコースで、船体長72フィート、全長85フィートの大型カタマランがタッキング、ジャイビングの打ち合いをする接近戦を、観客は間近で観ることができる。元々小型フェリーボートによる海上交通が発達している湾なので、レース観戦用の船の手配にも事欠かない。また、このレースエリアだと、サンフランシスコ湾に出入港する大型船舶の航路をふさがないので、大型船の出入港にレース時間が影響されることもない。「こんなに大きな変革がアメリカズカップ議定書に加えられたのは過去に例がないと思う」今回の第34回アメリカズカップの道筋を主導したラッセル・クーツ自身がそう語るほど、第34回アメリカズカップは、これまでの160年の歴史の中で、大きな改革が施された大会になる。第34回アメリカズカップの挑戦費用は、2ボートキャンペーンで7000万ユーロ、1ボートキャンペーンで4300万ユーロと試算されている。これを試算したレース主催者が主張しているのは、これまでのアメリカズカップ参戦費用よりも、ずいぶん予算を縮小できるという点だ。挑戦を目論んでいるチームとの2回の会合(パリ、ドバイ)を経て、アメリカズカップ・レースマネージメントは、第34回アメリカズカップのエントリー料を大幅に引き下げた。 今年4月30日までに支払うボンド金は、150万USドルから20万USドルに、7月31日までに支払うべしとされていた第2ボンド金は150万USドルから80万USドルになり、しかも支払期限は2011年の年末まで引き延ばされた。 これらのボンド金は、そのチームが最後まで(予選に負けるまで)戦線離脱しなければ払い戻される。純粋な意味でのエントリー料は、2012年4月12日までに支払うとされていた100万USドルだが、このエントリー料は、払い込み期日は2011年の6月1日までと早められたものの、10分の1の10万USドルに引き下げられた。また、今年3月31日のエントリー締め切り以降にエントリーした場合の、レイトエントリー料も、20万USドルに下がった。 その結果、今年1月19日までの時点で制式な挑戦エントリーを済ませたのは7チーム。ニュージーランド、スウェーデン、フランス(2)、中国、韓国、そしてまだ名前を伏せている1チームである。

AC45とユース・アメリカズカップ

第34回アメリカズカップの最初の予選となる2011年アメリカズカップ・ワールドシリーズ(全4戦)は、今年8月にポルトガルのカスカイスで開幕する。 その、2011年のワールドシリーズで使われるワンデザインクラス・カタマラン、AC45の0号艇が1月16日にニュージーランドのオークランドで進水し、翌日からテスト・セーリングを始めた。 各チームはこのAC45でのワールドシリーズを通じて、ウイングセールとカタマランでのマッチレースに精通していくことになる。 各チームの開発部隊は、セーリング部隊がAC45でのレースで腕を磨いている間に、第34回アメリカズカップの制式艇であるAC72の開発と建造を進め、今から1年後の来年2月に、各チームのAC72が進水することになる。 中国と韓国の2国が、アジアから第34回アメリカズカップに参戦する。 日本にチャンスはめぐってこなかった。しかし、日本にも、まだひとつだけ可能性が残されていることがある。それは、今回初めて開催される予定のユース・アメリカズカップへの道筋だ。 ユース・アメリカズカップは、2011年のワールドシリーズを闘った後のAC45クラスを使って、2012年に開催されることが予定されている。 ラッセル・クーツによると、ユース・アメリカズカップに参加できる選手の年齢は21歳以下か、あるいは25歳以下にすることを考えている。つまり、日本の若手セーラーにも、チャンスが巡ってくることになる。

ニッポンチャレンジの挑戦

日本は過去3度ニッポンチャレンジとしてアメリカズカップへの挑戦を果たしてきた。1992年そして1995年の米国サンディエゴ、2000年のニュージーランド・オークランドでのアメリカズカップ。「アメリカズカップってゴルフのトーナメントなの?」とは、ニッポンチャレンジのアメリカズカップ挑戦の際によく使われていたエピソードの1つ。それほど日本国内での知名度がなかった。アメリカズカップの存在から説明し、歴史を語り、その壮大なストーリーを理解してもらい、それに挑戦する初のアジア人チームとして名乗りを上げたニッポンチャレンジが、ようやく国民的レベルで認知されたのが1992年の大会だった。もちろんセーラーの間では余りにも有名なヨットレースだったが、そのセーラーたち自身が伝説のヨットレースに触れるのに多くの苦労があった。資金調達、レース艇開発、クルーの要請、ベースキャンプの運営、トレーニングのノウハウの獲得、英語圏を相手の交渉術、マーケティング、広報活動などなどすべてが初めてのことばかりだった。しかし、スキッパーにニュージーランドのクりス・ディクソンを迎えて挑んだ初のアメリカズカップ挑戦は、挑戦艇選抜レースで4位に入る大健闘を見せ多くの称賛を得た。
2度目の挑戦では、スキッパーを1人に固定するのではなく、ジョン・カトラー、ビル・キャンベル、ピーター・エバンスなどの外国人アフターガードからスキッパーを指名するというシステムを取り、日本人アフターガードの南波誠を日本人クルーとのコミュニケーターとした。また、国籍条項の関係でレースに出られないオーストラリアのピーター・ギルモアをスパーリングパートナー兼セーリングコーチとしてチームに迎えた。2度目の挑戦ということで、セーリングチームの力も高くなってきたが、デザインチームなどとの連携不足や直前での新艇改造など多くの問題も露呈した。結果は挑戦艇選抜レースで4位に終わった。しかし、確実にチーム力は増していた。
ピーター・ギルモアをスキッパーとする3度目の挑戦となった2000年大会。この挑戦ではセーリングチーム、デザインチーム、そしてその2つをつなげることを重要と考え、これまでにない組織が作られた。艇の開発には科学的なアプローチがとられ、必要となるソフトウェアも1から開発し、常にセーラーとデザイナーが意見を交わしながらの開発が4年間続けられた。一方、ビルディングチームも立ち上げられ、造船技師とともにスタッフがレース艇の建造をも担うことになった。陸上のスタッフだけではなく、クルー自らも造船現場で働くその姿は、3度目の挑戦にしてできるニッポンチャレンジの成熟度の表れだった。その結果、挑戦艇選抜レースで4位という過去2回と同じものであったが、そのレース内容は過去最も高い水準であった。3度目の挑戦にしてようやく獲得した世界と戦える力を持ったチームとなった。しかし、4度目の挑戦を表明した直後、2000年7月にニッポンチャレンジは資金不足から2003年挑戦を諦めなければならなくなった。
最近、ニッポンチャレンジのチェアマン山崎達光さん(JSAF名誉会長)と同チームスタッフの武村洋一さん(前JSAF事務局長)に会う機会があった。2人とも3度のアメリカズカップ挑戦の思い出を表現するに、「あんなに楽しいヨットレースはなかった」という。苦しいだけではない、負けて落胆するばかりではない。最高のヨットとクルー、スタッフとともに、世界の最高峰のレースを戦えるということは、セーラーの喜びの極みであるはず。再びその日が来ることを信じたい。


ニッポンチャレンジ、アメリカズカップに関するこれまでの出版物
「ニッポンの挑戦 日本はアメリカズカップを奪えるか」 木村太郎 著
「栄光は風に アメリカズ・カップの挑戦者たち」 山際淳司 著
「国際版 アメリカズカップ公式記録集」  三浦恵美里 翻訳
「アメリカス・カップ その歴史と栄光」 小島敦夫 著
「1992年4月5日俺達は負けた―アメリカズカップ初挑戦の記録」 松原仁・原健 著
「ニッポンチャレンジアメリカズカップ2000オフィシャルメモリアルブック」 ニッポンチャレンジ 著
「アメリカズ・カップ レーシングヨットの先端技術」 宮田秀明 著
「アメリカズカップのテクノロジー」 宮田秀明 著
「歴史に挑む、風の旅人たち―伝統のヨットレース、アメリカズカップへの挑戦」 西村一広 著 / 矢部洋一 写真

  • Photo by Takeo Tanuma

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